琉球古典音楽についての覚書
沖縄伝統音楽の中でも、琉球古典音楽とは、琉球王国(1429~1879年)の宮廷音楽である。
琉球が中国の属国としての形を取った時代、中国からの使節団・冊封士を歓待するために、踊り・振付・歌・三線・脚本に至るまでの芸能を担当した部署「踊奉行(うどぅいぶじょう)」がおかれ、ユネスコ文化遺産にも指定される「組踊」など、大いに独自の芸能が発展した。
三線音楽の分野では、琉球古典音楽の祖と呼ばれる「湛水親方(幸地賢忠)」が、こんにちなお親しまれている古典曲「首里節・諸屯節・作田節・早作田節・揚作田節・ぢゃんな節・暁節」などを作曲したとされる。湛水流の一門から後年、現在多くの会員を持つ野村流・安冨祖流がうまれた。
ところで現代も使われている沖縄三線音楽の楽譜「工工四(くんくんしー)」は1700年代に屋嘉比朝寄によって開発された。中国の楽譜<工尺譜>を基礎にしたといわれる。
一方、琉球古典音楽でも最古のものとされる「湛水流」の工工四は、湛水親方の出身地である首里儀保村で代々伝えられていたものを、明治五年に当時の琉球王、尚泰王の命によって、後世へ残すべきものとして採譜された。
Special thanks to my sensei,
島袋英治先生にいろいろヒントをいただきました✨
画像はオキナワと三線にすっかり魅入られた大和人の肖像デス(n*´ω`*n)
ーー2018年8月18日Facebook「Kiko Okinawa」に投稿したものを転載ーー